7.乱暴はよして とかくこの世は移り気だ。時間も季節も人の心さえも同じところで留まりはしない。特に人の心は何がきっかけでどう転ぶかが全く読めない。損得であったり情であったり、時にはやむを得ない事情によりそうせざるを得なかったり。ただでさえ複雑なのに、人によってさらに複雑に分類されるから、読み解こうとするのを諦めた。それは随分と前からのことだったけれど。 ギルベルトに付き添う形で海を隔てた他国へと赴くことになった。それまで外交に携わったことはなく、あくまでわたしはギルベルトの従者として身辺の警護を任されている。 厚い警備を敷くとまるでその他国を信頼していないようだと問題になるし、正直ギルベルトは殺したって死なないようなやつだから警護の必要なんていらないとは思うけれど、それはそれでギルベルトが要人として他国に印象づかないので好ましくない。だから、いかにも弱そうなお飾りの警護ひとりを引き連れてはるばる他国へ乗り込む俺様強くてかっこいい作戦でいく、ということだ。 何はともあれ、上から正式な通達があり、あくまでわたしはそれに従っている。 ギルベルトが会合に参加している間、わたしは広く設けられた待合室でぼんやり待機していた。給仕が差し出してくれた紅茶がとてもおいしかったので、一口含んで、思わず笑顔になった。 今回の同盟の綿密なやり取りは官吏たちの間で執り成されているので、この度のギルベルトの遠征は象徴的な意味合いが多い。それも表立ったものではなく、ギルベルトと同じような存在との顔合わせと意見交換が主な目的だった。公的な要素を持ち合わせているが、政治的・外交的意味合いは極めて薄くするように心がけているような動きが両国間にあった。 待つのに飽きた頃、ギルベルトがいつもの様子で帰ってきた。このふてぶてしさの安定感は抜群だ。 「どうだった?」 「『援軍は出せない。但し、金は出す』だとよ」 「ああ」 噂に聞いた通りだった。会合を通じて何か変われば、と思わなかったといえばうそになる。 大陸での不毛な殴り合いの話は聞いている。どんな思惑が逆巻こうと、わたしたちの追い風になるのなら、ありがたくそれを受けるだけだ。 めぼしい話もなかったのだろう。話題を変えるために、目の前のすっかり冷めてしまった紅茶の話をギルベルトにする。 「ギルベルト、紅茶がすっごくおいしかった」 すると彼は、にやっと残念な笑い方をした。わたしのはじめてのことを嬉しそうに聞いてくれる節は以前からあったので、今回も同じようにそうであると思う。 待合室でふたりくつろいでいると、入り口の戸が数回ノックされて、ギルベルトがそちらへ向かう。本当は下っ端のわたしの仕事なのに、ギルベルトが素早く動いていつの間にかそうしていた。半分開いた扉越しにいくつか言葉を交わして、ひとりの男性が入室してきた。いかにも身分のある人が身に着けるような衣服のわりに、髪の毛が随分とぼさぼさだったので、本来は身なりにあまり気を使わない性質の人なのだろうと思った。礼をすると向こうも同じように礼をし返す。こちらを見つめる瞳の色が透き通る宝石のようだったので、同じように思わず見つめ返してしまった。 「バイルシュミット殿、そちらは?」 ギルベルトが紹介するよりも早く、向こうが尋ねてきた。仲介役のギルベルトが立場の低いわたしを紹介し、それから先方を紹介するのが一般的なマナーだが、それすら待てないようなわたしに対する強い興味がうかがえる。しかし、異性に向けるそれではない。 「私の従者です」 まるでわたしをかばうかのように、ギルベルトが間に入って取り持つ。 「と申します」 わたしは自分で言って、もう一度礼をした。今まで会ってきた人の中で、恐らくいちばん近くわたしの本質を見抜いているだろう。ぶしつけな視線に自分でも気がついたのかそれを解いて、彼も自分の名前を口にした。 「アーサー・カークランドだ。紅茶を気に入ってくれたようで何よりだ。その茶葉は、俺も気に入っているものだから」 わたしもギルベルトもびっくりしてアーサーを見つめた。すると彼は片手を上げて左右にふるふると何かをかき消すように振るい、笑って答えた。 「いや、立ち聞きするつもりはなかったんだが、ノックをしようとしたら聞こえてきたんだ。失礼だったら先に謝る。すまない」 別に失礼だなんて思わなかったからそれを取り下げてもらった。アーサーも半ば冗談だった様子でさらりとそれに応じる。 再び探るような視線に全身をさらされて、なんだか身の置きようがなかった。 「も人とは違う時間を生きているんだな」 「ええ」 「不思議だな・・・。俺の知ってるやつらと、何かがちがう」 わたしが異質な存在であることは誰の目にも明らかだけれど、ギルベルトや彼らのような存在がそこにいるのが当たり前なように、わたしの存在も当たり障りのないものとして空気のように認められている部分があった。だから、それを深く追求するのはアーサーがはじめてだった。彼の言葉が指す「やつら」は、どうもギルベルトやアーサー自身とはちがうものを言い表している気がする。 身分が違うためわたしがおいそれと口を開くわけにはいかないのと、立ち回りの上手さから、受け答えはギルベルトがしていた。 「妖精か、何かそういった類の者か?」 「詳しくは分かりかねますが、私は幸運の小鳥だとかの類だと思っていますよ」 「へえ」 間のギルベルトを無意識に押しのけ、食い入るようにアーサーは顔を近づける。彼のペリドットの瞳に映るわたしの瞳の色は鳶色で、きっと彼には全てを見抜けない。 「カークランド殿。それ以上はあなたの毛嫌いする御仁のようになってしまいますが?」 口調の割りにすごみのきいた声でギルベルトが警告すると、アーサーはさっと身を引いた。 「失礼した」 「いいえ」 心の底から冷えるような感覚を押し殺して、なんとかそれだけ答えた。名残惜しそうにじっとり見つめてから、アーサーはギルベルトに向きを直す。 「さて、お帰りもまた船旅になりますね。もう馴染まれましたか?」 「いいえ。私個人としては泳ぐことは得意なのですが、航海となると話は別ですね」 「そうでしょう。いくら航海技術が進歩したとはいえ、船の揺れは独特ですからね」 「カークランド殿は船の扱いが大変お上手ですが、何かコツなどあればぜひ伝授して頂きたいものですね」 「とんでもない。生まれついた場所と、育った環境によるものが大きいのです。お教えできるものは、何も」 昔から要領のよさや器用な姿を見ていたから丁寧な言葉ですらすらと喋れることに対しては何とも思わないけれど、狸と狐の化かし合いのような権謀をめぐらすこともそつなくこなす姿もあるのだなあと思った。外交には融通が大事なんだ。傍で眺めて、もう自分の出番がないことを祈りながら、早くアーサーが出て行けばいいのにと思った。 「ははじめての船旅だったそうだが?」 「・・・そうですね、」 不意にアーサーに声をかけられ、思案するふりをして時間を稼ぐ。 はじめての海は、壮大さに驚いた。しかしかつては水と深い関わりがあった身だ。いいことも、悪いことも。川を氾濫させ稲田を荒らしていた、なんてもはや自分でもはっきりと覚えていないことだけれど。 ギルベルトが適当に言った幸運の小鳥なんて、わたしの対極の存在だ。 「幸いにして、船とは相性がよかったようです」 その後も3人でいくつか言葉を交わした。最後にアーサーが「土産に今日の茶葉を用意するから、よかったら帰り際に寄ってくれ」と言って、退室した。 「ぶはっ、お前あの眉毛相手になにモテてるんだよ? あいつ妖精がどうとか、まじ意味わかんねー!」 「いや、笑わないでよ。ちょっと怖かったよ、あの人」 「それにしてもあいつケチだよなー。海戦術さらっと教えてくんねーかなー」 「あ、それはちょっと気になった!」 ひとしきり笑い合ってから、いつものような話の流れになった。ギルベルトはどこを見ているんだろうか。わたしはもう随分と昔から見失っているけれど、上を向いていることには違いない。いつかやもしもの話に照準を合わせているが、その背景には目先の大軍との戦いが潜んでいた。陸戦での対峙になる。こちらに不利な、圧倒的な兵力差。 「ねえ、ギルベルトはわたしが何かとか、どうでもいいの?」 今まで言葉で尋ねたことはなかったけれど、アーサーの態度を受けてわたしは少し不安になっていた。 「別に関係ねえよ」 笑ってギルベルトが言った。彼の笑い方は全て歪んでいるけれど、今のは力強い笑い方だったから、わたしのちっぽけな不安なんてあっという間に払拭された。続けてギルベルトが言う。 「なあ、お前あの眉毛に部屋に行くのか? もしそうなら、その隙にお前のこと置いてくからな」 馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。茶葉は魅力的だったけれど、ギルベルトに置いていかれたくなかったから、もちろん行くのはやめにした。 |