9.悪いのは私





戦場の朝は早い。日が昇るよりも早くに人々はそれぞれの役割を果たすために動き始め、陣営は静かにけれどもざわざわと騒がしくあった。

「お前、なんでこんなとこいんだよ?」

わたしを呼び止めるギルベルトの声。わたしは白々しく、さも気づかなかったとでもいうようにそちらを向く。本当は偶然を装って彼に会うためだけにここにいるというのに。

「なんでって、わたしも参加するからだよ」
「は? お前はいつも後方だろ? ここは前線だ。さっさと持ち場に戻れよ」

怒ったようにギルベルトは声を荒げた。武器や防具に身を固めて、もうすぐここは戦場と化す。一瞬の油断が永遠のさよならにつながるから、ここでは冗談は敬遠される。

「そうすることにする。それと、わたし今回は後方じゃないから」
「はあ? 何言ってんだよ」
「斥候。ギルベルトの言う通りこんなところで油を売ってる場合じゃないね。まあ持ち場は主戦場じゃないんだけど」
「なんだよ、それ。そんなの聞いてねえよ!」

軽鎧の首元から少しだけのぞく布地を彼に引っ張られて互いの距離がつまる。元々いかつい顔立ちの彼が怒ると、ぞっとするような迫力が増す。大の男であっても思わず怯むそれを正面からまじまじとつきつけられ、かつ、首元を抑えられ自由もきかず、崩れそうになる己の表情を必死にとどめようとした。
さも冷静であるかのように装って首元に伸びるギルベルトの腕を数度叩いて開放するよううかがうが、聞き入れてもらえる様子はない。仕方なくそのままギルベルトに語りかける。

「今回の戦より、わたしの身柄は王直轄の斥候となり、他のプロイセン軍人とは指揮・命令系統を異にします。これは、王に速やかに情報を提供し、状況に応じた速やかな作戦遂行を目的とするためです」

わたしより背の高いギルベルトに首元をつかまれると、上向きに引っ張り上げられる形になり、無理に喋ろうとすると息が続かずに苦しい声になった。彼もそれに気づいたのか、わたしからそっと手を離す。

「んな馬鹿なことあるかよ!」
「まじまじ、大まじだって」

視線だけで殺されると錯覚するほど鋭くギルベルトが睨みつけるので、わたしは思わず苦く笑った。

「大体、わたし騎士の戦い方向いてないし、乱戦になったらやばいじゃない。でも、守る戦い方じゃなくて、自分が生き残る戦い方なら向いてる。そうでしょ」
「そりゃそうだけどよ・・・」
「少数相手ならそこそこやれるし。死なない程度に帰ってくるのなんて、おあつらえ向き。適材適所ってやつだよ」
「でもなんでたかだか一兵卒でしかないお前が親父に執り立てられたんだ?」

ああ、どうしよう。もう首元は苦しくないのに、言葉が1つも出てこない。朝もやで湿った草の香りを吸い込みながら、わたしは本当のことを口にしないで済むような、言い訳ばかり考えていた。

「誰かの推薦か? 隊長? でも、こいつの目立った功績なんて今までねぇし」
「ギルベルトが面白がって話してたのが印象的で、興味を持ったんだってさ」
「俺が?」
「小鳥がどうとか言ったでしょ」
「あー・・・、言ったな」


本当にあった王とのやり取りの一部しか口にしてない。だから、決して嘘は言っていない。


「俺かよ・・・」


がくりとうなだれて、もう一度顔を上げるとギルベルトの表情が変わっていた。少なくとも、視線で殺されるようなことはもうない。まるで渋い果物でも口にしたような表情だった。

「それ、今から変えてもらえねーのかよ」
「無理じゃないかな。それに、わたし自身すごくやりがいを感じているから」
・・・!」

再び詰め寄られそうになったので、今度は注意してそれをかわした。心の創痍から、普段の彼からすれば随分とずさんな一手だった。むなしく空を切る彼の腕。交わす視線さえどこか寂しい。

「少なくともギルベルトのせいってことはないよ。絶対」
「けどよ」
「だからわたしのことで心病まないで。お互い、がんばろう」

戦の前にいつもふたりで交わす言葉だった。でも、今日は返ってくるはずの同じ言葉が聞こえない。


「ほんとにもう行かなくちゃ。ギルベルトもだよね。引き止めてごめん。でも、行く前に一目会えたらいいなって思って」


それだけ言って、まるで忙しいんだというようにして踵を返してわたしは駆け出した。軽鎧がかちゃりと打ち付けあう。大事な戦の前にギルベルトの邪魔をしてしまったかもしれない。いや、大事な戦なのは自分も変わらないと2、3度頭を左右に振って意識を切り替える。するといつの間にか自分の走る音に合わせてがちゃがちゃと重々しい音が加わっていた。

「な、何してるの」
「まず、止まれ」

言われるがままぴたりと両足を止める。軽く走って、少し吹っ切れた表情のギルベルトが拳をこちらに向ける。得心してわたしも拳をかまえる。


「お互い、がんばろうな」
「うん、がんばろう」


軽い彼の拳に、わたしは渾身の一撃で応える。それでも彼は屁でもない様子で受け止めてみせて、逆にその腕を掴まれてしまった。しばし無言で見つめあっていると、遠くでギルベルトを呼ぶ声がして、互いに手を放してそれぞれ駆け出した。