真夜中のパレード




社会はピラミッドの形をしている。ピラミッドの上にいる人ほど、その発言は絶対だ。だから、わたしの様な底辺に位置するものは、上の人のために一生懸命働きまわるのだ。

わたしは、机の上にいくつものファイルを広げて、過去数年分のやり方を調べていた。同じ題材を取り扱っているのに、運営の仕方が違うのはどうしてかをひたすら資料から読み取っていた。そうやって今までやってきたものの積み重ねを掴むところからはじまるので、スタートの位置が随分と後ろなのだけれど、仕組みを理解することはとても大事なことだと教えてもらっているから、後は飲み込みの早さが欲しいところではあった。
ようやく見つけたスタートラインに誰にともなく喜びを打ち明けたくなったが、そういう訳にもいかなかった。気がついたらわたし達の部署以外の人達はすでに退社していて、照明さえも消えていた。目の前のPCをスタンバイの状態から起動させて画面の右下を覗き込むと随分と遅い時間になっていた。今回も大分時間がかかってしまった。喜びと反省が入り混じったような気持ちだった。
まだ感情が波打っていて、落ち着くところを見出せずに不安定な状態だったが、強烈な現実がわたしに叩きつけられた。



「うおおおおおおおおお!」

わたしの背後には、胸の高さくらいのキャビネがあったはずだ。そしてその背後から聞こえてきたのは、成人男性の気合いの入ったうなり声と、がたがたという物音だった。 振り向くと、尊敬してやまない同じ部署のギルベルト先輩が、キャビネに覆いかぶさるようにしていた。


「何してるんですか・・・」
「あー、ちょっとキャビネ相手に相撲を。・・・おおおおお!」

そうして再びキャビネと組み合うようにして体を密着させた。耐震のため、キャビネは床にねじで留められているので、先輩がいくら力を加えても傾くことは多分ないだろう。


「・・・相手、手強いみたいですね」
「くそっ、寄り切られた!」


ぱっと体を離して、先輩はキャビネの下のあたりを革靴で悔しそうに蹴った。


「勝ち負けとかあったんですか?」
「ある」


不機嫌そうに、シャツの袖を捲くっていたのを直して、先輩は自席に戻る。
就業時間中はきっちりと模範的な服装の先輩は、終業のチャイムが鳴った段階で警戒レベルが1つ下がり、上司が帰って事務所の人数が減ると警戒レベルは0になる。
仕事中にふざけるのは言語道断。しかし、残業中は長引くほど休憩時間に該当する時間が発生する。つまり、先輩も人間だということだ。警戒レベルの引き下げに応じて、おしゃべりの時間も多少は許される。

とはいえ、今回のようにキャビネ相手に相撲を取るなんてことははじめてだったので、わたしは先輩のことが心配になった。わたしなんかよりもずっと仕事量が多いはずの先輩が追い詰められてあのような奇行に及んだのではないかと、つい考えてしまう。



「終わったのか?」
「はい。とりあえずやっとスタート地点に立てたくらいなんですけど」
「そうか。たくさん資料漁ってたもんな、やったな」
「ありがとうございます」

さり気なくわたしの行動を気に留めてくれる。わたしは、この人に褒められるのが何より嬉しい。ピラミッドでいえば、わたしのすぐ真上にいる人。近い分、その能力の高さを目の当たりにして自分との差をつきつけられるが、それもいい刺激だ。


「俺はもう帰るけど、お前は?」
「今回用の資料をちょっと作っていこうと思ってて」
、時計見ろ。深夜時間は何時からだ?」
「22時です・・・」


ピラミッドの上の人の発言は絶対だ。際限なく続けていたわたしに向かって以前先輩は約束を取り付けた。余程のことでない限り、深夜時間前に撤収すること。

「仕組み分かったんだろ? 一晩眠ると人の脳っていうのは定着するもんらしいぜ」

むくれて帰り支度をするわたしに、先輩がフォローのように言って聞かせる。





「先輩、ひょっとしてわたしのこと待っててくれたんですか?」

事務所の戸締りをする先輩の横に立って、そっと聞いてみる。1日の終わりの疲労感をたたえたスーツを再び着込んだ先輩は、特に何も言わずに出入り口の扉を施錠し、きちんと閉まっているかの確認をした。


「よし、帰るぞ」
「はい。じゃあ門までご一緒してもいいですか」
「おー」



歩き始めた先輩の手から鍵を奪い、下っ端の仕事ですからと笑いかけると、同じように先輩も笑った。