溺れるシャンティー





アポイトメントも取らずに往訪するのは当たり前。その上で「何か甘いもの」と、紅茶をセットで要求するのも、いつものことだった。
フランシスは決まって困った顔をしてみせるが、他ならぬアーサーの要求とあれば必ず最後は頷いてみせる。するとアーサーは。さも当然だと言うかのように鼻先で笑って、家の奥にあるテーブルの前で、準備ができるまで待っていた。
工程が進むにつれ、甘い香りがキッチンから運ばれてくる。アーサーは退屈を嫌ったが、こうして待っているのなら我慢してやらないこともないと思っていた。全ての準備が整ったら、フランシスとふたりテーブルを囲んでゆっくりとするのだから。


しばらくすると、テーブルの上に音もなく皿と紅茶が置かれる。

「はい、今日のはシュー・ア・ラ・クレームね」
「ふうん、シュークリームな」
「そうやっていちいち喧嘩売るのやめてくんない?」

誰がやめるかよ、と口にはせずに、にやりと笑った。
アーサーは、甘いものを食べる時は、紅茶に砂糖もミルクも入れない主義だったので、トレイにはあらかじめ用意されていなかった。そういう些細な部分を自然に共有するようになっていた。

フランシスがカップに紅茶を注いでいると、インターホンが鳴った。無言で目配せ合い、1つ頷いてからフランシスは玄関へとゆっくり歩き出した。
ひとり取り残され、目の前の菓子や紅茶が冷める前に、アーサーはそれらに手をつけた。粉砂糖が上にかけられたシューはさっくりとした生地で、中には泡立てられたクリームが入っていて、そのどれもがアーサーの好みを的確にとらえていた。










「やっほー、フランシス兄ちゃん! 近くに来たから寄ってみたんだ。なんだかいい匂いがするね〜」
「よう、フェリシアーノ。ちょうどシュー・ア・ラ・クレーム作ったとこなんだ。食べてくか?」

親指で部屋の奥の方を示して、フランシスが尋ねる。


「ラッキー! じゃ、さっそくお邪魔しまーす」
「はいよ、いらっしゃい」

やわらかさを感じさせる愛らしい笑いをフェリシアーノは浮かべた。近しい者を受け入れるように気軽にフランシスは応じて、ふたりでダイニングへ向かった。



キッチンと連なるそこは、まだできたてのシューの香りと、クリームの甘い香りでいっぱいだった。イギリスが控えている部屋とは少し離れていて、扉1つ分区切られている。
備えられているいすにかけ、フェリシアーノはテーブルに置きっぱなしになっていた紅茶の缶を素早く見つけた。

「兄ちゃん、ひょっとして誰か来てる?」
「ああ」
「へえ、そう」

はぐらかすようにフランシスが曖昧に答えても、フェリシアーノはそれ以上追求しなかったが、声の調子が1トーン下がった様子で頷いた。そして、ゆっくり、にっこりと微笑んだ。天使と悪魔が混ざり合ったような笑い方だとフランシスは思い、賭け事に乗るかのようにつられて笑ってみせた。
フェリシアーノに好いように踊らされるわけではなく、共謀する形を取る。享楽的なのはフェリシアーノにもフランシスにも似たような血が通っているからだろう。

差し出された皿から器用にフォークで一口分を切り分け、フェリシアーノは口に含む。

「うわあ、やっぱり兄ちゃんの料理は最高だね。俺、兄ちゃん好きだなあ」
「お前ってばほんとに素直だよなあ」

フェリシアーノが、ここにはいない第三者に向けるかのように、にこにこと笑いながら言う。

「俺も、お前が来てくれて嬉しいよ」

フランシスも第三者へ向け、聞こえよがしに笑いながら言う。

「何か飲むもんでもいるか?」
「んー、お茶がいいなあ」
「りょーかい」


フランシスが紅茶の準備をしている間から、フェリシアーノがフランシスの家を去るまでの間、ふたりは終始なごやかに途切れることなく会話を続けた。
そうしてフェリシアーノが玄関のドアの向こうへ消えたのを確認してから、フランシスはのどの奥でくっと笑って、別のドアを開けた。






そこには案の定、不機嫌な様子のアーサーがテーブルに頬杖をついていて、フランシスの入室に気がついているにもかかわらず意図してそちらを向かないようにしている様子が見て取れた。ずいぶんと前に淹れた紅茶は、さして飲まれてはおらず、すっかり冷えてしまっていた。


「お前、誰にでもああいうこと言うんだな」

やがてアーサーがぽつりと口を開く。

「何が?」
「『来てくれて嬉しい』、とか」
「そりゃあ、フェリシアーノはかわいいし」


俺には言わないじゃないか。フランシスに聞こえないくらい小さな声でアーサーはつぶやいた。
急に、目の前の菓子やお茶が空しく見えてきた。


「お前はただ俺の作る菓子を食べに来てるだけだろ?」
「……っ」

アーサーは言葉につまった。フランシスの作る料理は確かに絶品だ。アーサー自身、心の底ではとても気に入っている。しかし、いつしかフランシスに会うための言い訳の材料になっていたことは否めない。
本当は、ただフランシスに会いたいのだ。言葉でそれを伝えるべきなのに、フェリシアーノと違って、素直になるのはアーサーにとっては難しいことだった。


「うそだよ」

ふっと笑って、フランシスがふたりの間の空気を柔らかくさせた。

「たとえお前が俺の作る菓子目当てだろうと、そうでなくても、俺のところに来てくれるんなら十分うれしいよ」


妥協点をいつだって作ってくれるのはフランシスだった。かあっと頬が熱を持つのをアーサーは感じる。

「おい、『そうでなくても』ってなんだよ!?」
「何でわざわざ聞くかなあ。言ってもいいけど、お前怒るでしょ」
「なっ、うるせえよ、ばか!」
「ほら、言わなくても怒るし」
「……」

図星をつかれてアーサーは肩をすくめる。そんなアーサーを眺めて、フランシスは穏やかに微笑む。
そしてアーサーの緊張をほどくのも、やはりフランシスだった。


「紅茶、淹れ直そうか?」


すると、アーサーはせいいっぱいの素直さでもってこくりと頷いたので、フランシスはキッチンに向かい、静かに歩を進めた。