15.誰か助けて 「先の戦いでの鮮やかな勝利を知って、ぜひギルベルトさんに師事したいと思ったのです」と本田菊が穏やかに笑うと、すかさずギルベルトが機嫌を良くして雰囲気をやわらかくした。 物理的な距離など最早関係ないかのように、菊はわたし達の様々なことを詳しく知っていた。彼らはつい先日まで外交を断っていたというのに、世界に追いつくどころか、逆に抜きん出ようとするかのような勢いだった。法や陸式戦法を伝授すると、スポンジが水を吸い込むようにしてそれらを飲み込んでしまった。その適応能力の高さにさらに気を良くして、ギルベルトはいろいろなものを菊へと授けた。 わたし達の所から持ち込んだ果樹は、菊の国では寒い地域で栽培されることになった。不毛な土地として扱われていた彼の国の北部の山間の地域が、果物の産地として有効活用されるようになった。また、ギルベルトは必要以上にじゃがいもの栽培を進めていた。完全に私欲だった。 「貧しい土地だって育つし、収穫してから日持ちもする。何より茹でて食べるだけだから、まじでおすすめ」 これには菊も苦笑するばかりだった。 「じゃあ俺ちょっくら便所ー」 唐突にギルベルトが退室して、部屋にはわたしと菊のふたりだけになってしまった。わたしは今までと他国の者と接する時と違って、菊とは努めて消極的に接していた。今までは、知らないものに対する興味から積極的だったが、相手が菊となると、自分のなかの見透かされたくない部分まで覗き込まれてしまいそうで、ついギルベルトの陰に隠れるようにしていた。 「さん、でしたよね」 視線をテーブルの上に彷徨わせていたけれど、菊の声に合わせてそちらを向いた。墨を水で溶いたような暗い瞳は、どれほど覗いてもはっきりとした底は見えない。そうしているうちに、わたしの方が飲み込まれていた。 「不思議な出会い方も……あるものですね」 目の前にいるのに、わたしには彼と直接話しているという感覚は希薄だった。ただ、菊のつむぐ静かな声が、遠くから響いているようだ。わたしは耳をそばだてて聞くことしかできないみたいだと思った。 「私と来ますか?」 その距離がぐっと縮まり、鋭い言葉の刃の切っ先が、わたしをとらえた。 菊は、汚いものと哀れなものを見るような目で、わたしを見ていた。言葉にしなくても、また菊自身が隠そうとしていても、気がついてしまった。そう思われても仕方がないほど、不浄の身だった。人を呪えばなんとやら。最早、身動きさえも満足にできない状態だった。 なぜだか胸が詰まって言葉が上手く出てこなかったので、頭を縦に振った。もう一度菊を見ると、まるで墨がにじむようだった。それは、にじんだわたしの瞳がそのようにとらえていたからだ。 ひとりは寂しいことだから、どんな時もギルベルトの隣にいようと強く思っていた。長い時間を共有したいと思った。今にしてみると、それはわたしの勝手な思い込みだったのかもしれない。言葉で確かめたことがないから、何も言われなかったから、当たり前のように隣にいた。でも、今の彼にわたしは必要ないのかもしれない。彼には愛する弟がいる。 ずっと続けて思い続けていたものを、こんな形で諦めることになるとは、思いもしなかった。ゴールのないマラソンのようにずっと一緒にいるのだと思っていた。 ギルベルトの歪んだ力強い笑顔にしばらく会うこともないのかと思うと、トイレから帰ってきたいつも通りの彼でさえもわたしの胸を切なさでいっぱいにして、わたしは必死に奥歯を噛み締めてその会合中痛みをやりすごした。 |