18.リアルを享受しよう





来る日も来る日も、わたしは身を清めることに専念した。目的はまっさらになって再びかの地に立つこと。過ぎる月日、巡る季節。明確な目的を1つしか持たないわたしは、あやふやで、やはりどこかに焦る気持ちはあった。

強い硫黄のにおいにも、慣れた。菊の家の「大事なところ」があるあたりからは大分距離があるから、この国や、他国の情報には疎かった。時折訪れる菊から聞く話が全てだった。 その菊も、彼の持つ魅力の1つである、ゆとりやおおらかさといったものが、徐々に損なわれていっているような気がしていた。
しばらくわたしは何も言えなかったが、ギルベルトの隣で長い時間を過ごしてきたから、その荒み方には覚えがあった。ギルベルト自身というよりも、今はもう地図の上に名前が確認できない国の、彼らのような存在が発していた空気と瓜二つだった。だから、わたしが立ち入れる類の問題ではないのだと分かった。



「菊さん。わたしの力なら、いつだって使って下さい」
「なに馬鹿なこと言ってるんですか」

案の定、彼は声の調子を下げてわたしをたしなめた。

「今までしてきたことを無駄にするつもりですか?」
「だって、今までたくさんお世話になったし」
「そのお気持ちだけで、十分ですよ」

きっと幼い子供をあやすようにしようとしたのだろう。伸ばした手を触れる寸前で止めて、何かを思案してから引き戻し、菊は苦いのをこらえるようにして笑った。触れたからといって伝染するようなものではない。


「あなたには、返って申し訳ないことをしてしまいましたね」
「いえ、そんなことは」

続く言葉が静寂に飲み込まれていく。森林の影の深い色をした静寂は、落ち着きと不安が合わさったようだった。
こんな時だからこその力だと思う。ままならないものをどうにかできるかもしれない力。それをしないことも、またままならない気持ちになるのだと知った。

かける言葉が見つからないのは菊も同じようだった。かち合った視線をたぐり寄せて、不器用に笑い合う。
やがて形式的な別れの挨拶をすませて、わたし達は背を向けてそれぞれの日々へと戻る。














物語の登場人物のように、空を見上げては、遠い土地で息づくギルベルトや彼の守るものへ思いをはせた。確かな情報が何一つ手に入らない状況において、そうする以外どうしようもなかった。形のないものを思い描くことは、祈りに似ていた。今までしていたものとは真逆の方向を向いている強い思いが皮肉とも取れたが、笑い飛ばせるような場合ではなかった。






ふわふわと落ち着かないのは自分の気持ちなのか、それとも世の中の情勢なのか。





















蒸し返す夏の最中、あと数日もすれば暑さが過ぎ去るような頃に、傷ついてぼろぼろになった菊がやってきて、感情を消し去ってとつとつと語り始めた。自分の身に起こった災難もほどほどに他人への配慮を欠かさない彼の誠実さがありがたくもあり、申し訳なくもあった。