終わらないメリーゴーランド




1日の最後のコマが選択の授業だったので、チャイムが鳴るとみんなばらばらに自分の教室へと帰っていく。かくいうわたしも同じで、自分の席についてバッグに筆記用具などを詰め込んで、担任が来るのを待っていた。同時に今日の部活ですることを頭の中でリストアップしていく。何個目かの箇条書き用の点を打った時、謙也が浮かれた足取りでわたしのとなりの席についた。
速さが何よりの取り柄な彼が、わたしよりも移動に時間をとったことが珍しいと思った。同じクラスになってからおそらく初めてのことだった。
鼻歌が聞こえてきたのでそちらを向くと、謙也はにこにことだらしない顔をしていた。さすがに何かつっこまざるを得ない状況だった。


「一応聞くけど、どうしたの……?」
「んー、それがなあ、俺選択となりのクラスのナントカさんいうごっつ綺麗な人といっしょやねん」

となりのクラスには学年でも数本の指に入る美人さんがいる。廊下やトイレですれ違うことがあるけれど、確かに彼女は綺麗だ。彼女をとらえた一瞬、視線がそこで釘付けになる。

「そん人席窓際なんやけど、風が吹く度に髪がこうふわっと流れんねん。んで、うなじもちらっと見える」
「え、気持ち悪いんだけど」
「うっさいわ。白くて細っこくてなー。ええにおいもすんねん」

うっとりとしながら謙也は閉じたまぶたの裏でその光景を繰り返し思い描いているようだった。



「……?」

現実に戻ってきた謙也が、わたしの異変に気がついて呼びかけてきた。

「ちょ、お前、どしたん?」

担任がちょうど教室に入ってきたので、わたしはそちらをあごでしゃくって示して、何もしゃべらなかった。
取り立てて連絡することもなく、事務的な挨拶だけを済ますいつも通りのショートホームルームだった。担任が話をしている最中も、ずっと謙也がとなりから話しかけてきていた。何も話す気にならなかったので、横にかけていたバッグを机の上に乱暴に叩きつけるようにして置いた。思っていたよりも大きな音になってしまった。近くのクラスメイトが何事かとこちらを向いたが、不機嫌そうに唇を尖らすわたしと、うろたえている謙也の姿を確認して、興味なさげに再び前を向いた。


クラス委員の声に合わせて起立、礼。そのまま机上のバッグを引っつかみ、素早く教室を後にしようとする。しかし、わたしよりも出入り口側に座っている謙也に当然阻止される。

「ええっと……。ああそや、!」

謙也はバッグの一番取り出しやすいポケットから、1つのあめを取り出した。

「それやる。あー、あとな、今日俺らそうじ当番やなかったよな。ほなこのまま部活やんな。ははは」

何が笑えるのかさっぱり分からない。こちらの顔色をうかがうための時間稼ぎに分かりきってることを今さら口にしているんだろう。
もらったあめを指先で持ちながらじっと眺める。あめ1つでごまかして、話すべきことを話さない謙也のずるさに腹が立った。


「いらない」
「なんでや? お前これ好きやろ?」
「もう好きじゃない。いつも食べてたら飽きちゃった」
「なっ」

謙也に突っ返しても受け取ろうとしなかったので、彼の机にあめを置いた。
情けない声に、悲しさも含まれた。ショックを受けた様子で、謙也が言葉を探している。

「いつもこれじゃない! わたしの機嫌が悪いのは気づいてるんだよね?」

つい声が大きくなってしまった。それよりも内容にびっくりして謙也の肩が跳ねた。

「あめ1つで機嫌が直ると思ったら、大間違いなんだから!」


今度こそ彼を振り切って、わたしは教室を後にした。ずんずんと速い足取りで廊下を渡る。しょんぼりとした謙也の顔や声がまとわりついて離れない。拗ねて、八つ当たりしているだけ。悪いことをしてしまった焦りにも似た感情がわたしを不安にさせた。










部活用のジャージに着替えて、いつも通りみんなのサポートを中心に仕事に精を出す。たまに謙也と目が合っても、何食わぬ顔で作業に戻る。半分は忙しいふりだったけれど、何かをしている方が、気がまぎれてよかった。
額の汗をごしごしと乱暴に手でぬぐった。日焼け止めの膜を張るようなにおいが鼻をつく。いくら塗りこんでも足りないくらいだし、どこかで諦めている。謙也が話していたあの子とは遠くかけ離れている。そう思ってしまった時には手遅れで、なんだかすごく泣きたくなった。八つ当たりで激しく怒った反動で、今度は一気に気持ちが下向きになる。




作業する手を止めてぼーっとしていたわたしに、白石がそっと声をかけてきた。慌てて顔を上げると、白石はドリンクのあたりを指差す。

「作業中にすまんな。そっち終わったらでええんやけど、今日暑いからドリンクばか売れでなあ。おかわり、お願いしてもええか?」
「ごめん、気づかなかったよ。ありがと。そっち先やる」
「助かるわ」

気の抜いたくつろいだ笑顔。
中腰の姿勢から伸び上がると白石はまだ続きがあるようで、じっとそこにいた。

「ん、なんかリクエストある?」
は、よーできたマネージャーやで」

突然の彼の言葉に思わず首をかしげる。

「まじめで、よう働いてくれる。そんでかわええ、と。俺ら部員はみんな幸せ者や」
「やめてよ。……でも、ありがと。大丈夫、元気だよ」
「別に。たまには言っとかんとな。それだけやで?」
「恥ずかしいなあ。じゃあ、ちょっと行ってきます」
「おー。急がんでもええからな。重かったら誰か使えよー」


恥ずかしげもなく口にする白石には、驚かされる。
同じクラスだから彼はわたしと謙也との言い争いのことを知っていて、必要としている時に欲しい言葉をかけてくれる。それを言葉で伝えることができるから、彼はきっと人気者なのだろう。見た目の華やかさももちろん素敵だけど、内面も素敵だ。周りの女の子たちがみんな彼にときめいてしまうのも頷ける。


それでも、わたしが好きなのは謙也だ。
今日みたいに腹が立つこともあるし、言葉選び方をよく間違えるし、いっしょにいて面倒なことだらけでも、なぜか謙也のことが好き。
一生懸命なところが、変な話、かわいいと思う。今日爆発してしまったのは、わたしのつまらない嫉妬心から。謝らなければいけないのは、わたしの方だ。






力をこめるために一瞬息を止めてドリンククーラーを持ち上げると、中の氷が揺れて涼しげな音がする。重たいはずのそれは、いつの間にかとなりに来ていた謙也が半分持ってくれているおかげでそれを感じない。

、俺……」


白石が気を使ってくれたのだろう。何か言いたそうにしているけれども、謙也はわたしがどうして怒っているのかも分からないだろう。

「あのね、謙也」

それでも謝ってくれるのだろう。今回はそれでよくても、これから先も同じようなことを繰り返してしまうだろう。


「わたしが悪いの。ごめんね」
「え? は?」
「となりのクラスの子に嫉妬しちゃったの。あのね、謙也、すき」

ちらりと横目で謙也を見ると、真っ赤な顔で放心している。

、1回これ下置くで」
「え、うん」


ドリンククーラーを地面に置くと、謙也はわたしの顔をじっと覗いた。彼の顔以上にわたしの顔の方が赤いと思う。慣れないことをしたせいだ。もうしばらくこんなことはしない。
謙也は自分の手のひらで真っ赤な顔を隠しながら左右に首を振り、人の目を気にしていた。


「あかん、人めっちゃおるやん」
「そりゃここ学校だからね」
「不意打ちやで。はー、この気持ちをどこにぶつけたらええんや」


がしゃり、と氷が乱暴に踊る。その後に着いて、わたしも持ち手をとる。そっと謙也の手とくっつける。



「我慢、我慢」
「あかんわ……」


相変わらず情けない声だった。そういうところもすきだと思った。