19.desiderio





新しい地図をそっと見つめた。わたしの知っているものとはいくらかかけ離れていて、いちばん知りたい名前はそこにはなかった。
詳しいことはあえて聞かなかった。



「これからどうしたいですか」

菊がその暗い瞳で覗き込む。

「どうもこうも……。言ってもいいの?」
「もちろんです」


余裕のなさがうかがえて、行くことも留まることも、どちらにせよ彼に面倒をかけることになるだろうと思った。
それに本当の気持ちを口にするのは、弱い部分をあらわにするようで苦手だった。どうせ彼には見抜かれてしまうだろうけれど。せっかくの厚意を無下にすることも心苦しい。自分の中で、気持ちが天秤にかけられる。

「もう少しだから、ここにいさせて欲しい」
「ええ、わかりました」


菊は予想通りいやな顔一つせず、彼らしい声で言ってうなずいた。










のんびりしていたから忘れていたけれど、先に何も言わずに姿を消したのは自分の方だった。誰かにしたことは、自分に返ってくるようにできているような気がする。
砂で作るトンネルのように、わたしの胸と背中の間にはぽっかりと大きな穴が開いていて、そこからぼろぼろと体の組織やら、必死で堅く守っている感情やらが崩れているみたいだった。

同じように忘れていたのは、彼らの存在の曖昧さだ。
悔やんでも何があるわけでもなく、この世の終わりに思えても個人の感情なんて意に介さず夜が明けたりするので、仙人になるための修行のように質素で華美を避けた生活を続けた。
変化の乏しい生活は感情の起伏も少なく、目的だけを見据えることができた。















同じことの繰り返しの毎日の中で、時折菊に呼び出されて彼の家の中心部へと行くことがあった。すると、菊やギルベルトのような存在がそこにはいて、他愛のない話をするのだった。彼らは存外、自分以外の存在に興味がないのか、わたしのことをすんなりと受け入れてくれて、その気さくさが楽だった。初めて会う者や、中には見知った顔もあった。


「ワオ! なんだい、君。キクの家の子かい?」

大げさに言ってみせて眼鏡の奥の瞳が朗らかに笑った。ぐるぐるとわたしを中心に彼が観察するように回る。大げさなのではなく、これが彼にとっての普通なのだと気がついた。

「ふわふわだ」

髪と地肌の間の空気を触るように頭をぽんぽんとされた。突然のことに驚いて思わず固まる。となりの菊も同じように固まっている。

「アルフレッドさん。彼女はお客様です」
「へえ、ゲスト?」
「そうです。あの、あまり変なことはなさらないで下さいね」
「うん、してないだろ。えーと……」

アルフレッドと呼ばれた彼がこちらをじっと見ながら人差し指をさまよわせる。

「ん。名前?」
「そうそう」

「OK! よろしく、

よろしくと応える声が彼の大きめの笑い声でかき消される。終始彼のペースだった。釣られてわたし達もふっと笑い出してしまう。
窓から降る暖かい午後の日を浴びながら、ゆったりと流れる川のなかにいるように過ごしていた。

きっと菊が、昔にギルベルトから聞いていたのかもしれない。こうして彼らのような存在と接することにわたしが強い興味を示していたということを。


長い時間を生きる曖昧な存在。同じようで違う彼らとわたし。意味と目的の象徴たる者。わたしの疑問に対する答えにはならないけれど、彼らと話をしていると色んなことに気がつくきっかけになる。曖昧さを許す世界はとても柔軟だということ。何もかもに答えを見つけ出す必要はないのじゃないかということ。