21.さすらうアンドロメダ





街の中にある広場が、人で溢れていた。どの顔も笑っている。かみ締めるように喜びを感じているようだった。目頭を熱くさせて、溢れる涙を笑みの形の目に溜めながらそれぞれが思い思いにすごしている。
戦いに負けたり、どんなに苦しい日々が続いても、そこから立ち上がる人の強さをずっと眺めてきた。同じ気持ちを感じてきた。いまはまた、うれしい気持ちで胸をいっぱいにしている人たちを眺めながら、感情を共にしていた。
小さなパーティが始まってからルートヴィッヒや菊には体調が優れないとか適当な理由をつけて、ひとりですごしていた。

そのまま輪の外から、人の波間に懐かしい銀髪を見つけて、広場を後にした。沸き立つ様々な感情が胸の内をかりかりと爪でかくようにわたしを急かし立てていた。
結局おかえりの一言もかけることをしないでわたしはその場を駆け出した。会ってしまえばそれからの未来の話になる。誰の迷惑にもなりたくなかった。








すぐに胸が苦しくなって、しばらく歩きながら小高い丘にやってきた。ここからなら街が見下ろせる。
離れた位置から眺めると、夜の海に光の泡が浮いているようだった。あたたかい色をした光。その下には、たくさんの笑顔がある。ギルベルトも、ルートヴィッヒも、菊もみんなが笑顔でいる。空もそこだけ色を変えて、夕日が戻ってきたような赤い色をしていた。

昔から輪の中に入ることを、人とは違うものだからと遠慮していた。そのわたしに許された、長い一生。
人の中で生きる術を教えてもらったり、剣の技を磨いたこともあった。何度も繰り返し練り鍛えることで、たくさんの戦場を乗り越え今日を迎えることができた。
そして、豊かな感情に触れ、それをたくさん与えてもらった。
そんな風に長い間続けてきたものの終わりがあるとすれば、今なのかもしれない。

始めは、人に害なすものだった。たくさんのわたし、あるいはきょうだいのようなもの――の中からわたしだけがはじけて、飛んで、いまのわたしになった。人の中で過ごした日々は、大昔のわたしへの訓諭のだったのかもしれない。
立場も環境も変われば、考え方も変わる。今までを振り返って、充足感で胸がいっぱいになる。


人よりも長いだけで、寿命はある。病気はしないが、怪我が原因で果てることもあるだろう。上手く今日まで過ごせただけのことだ。
これからの生をどう過ごしていくか考えた時に、答えが見つからなかった。こんなに満たされているなら、儚く続けてきたたゆたう糸のようなこの一生が、ふっと立ち消えるんじゃないかという予感があった。心の持ちようによるところが大きいのだと感覚が告げている。確信する時は、わたしが消える時だ。
身を寄せるよすがもない。誰かの厄介になるつもりもない。



丘に自生する丈の長い草が夜風にそよいでいた。軽い音を立てながら普段見えないはずの風が、まるでそこにあるのがはっきりと分かるように草を倒しながらその上を通り過ぎていく。
その上に直に座り込み、膝を抱えた。上着もなく過ごすには寒すぎたけれど、もう関係ないことと割り切った。ガチガチと合わない歯の根が音を立てる。抱えた膝の間に顔を埋めた。遠くの明るい光が最後の景色だと網膜に焼き付けて、真っ暗な視界で繰り返しそれを見る。そして泡のように音もなく消えていく自分の姿を思い描く。







大きな鳥がめいっぱい翼を広げ、風に乗って羽ばたくような音がした。

寒さからくる震えが止まり、そこで初めて顔を上げる。
目を開けているのに何の景色も映らず、身動きも取れなかった。手足が何かを掴む。あるいは何かにからまっている。



「久しぶりだってーのに、なんの挨拶もなしかよ? え?」


その声を聞いて、心臓がどくどくと早鐘を打った。喜びの方がもちろん大きかったが、これからすることを咎められるような居心地の悪さのせいでもあった。
慌てるわたしに気を良くしたのか、楽しそうな声色だった。随分と久しぶりに耳にしたギルベルトの声は、耳をがりがりと引っ掻くような声質で、でもその声が懐かしくて、何よりわたし達の間を流れる空気が昔と変わっていないことは素直にうれしかった。
ようやく出口を探り当てる頃には、わたしは天地も分からず自分の体重を支える事ができなくて丘の上に仰向けに寝そべる体勢になっていた。冷えた新鮮な空気をめいっぱい吸い込みながら状況を確認してみると、腕組みをしながら見下すような視線のギルベルトと目が合う。

「ケッセッセ! ケーッセッセ!」

ギルベルトはロマンチックな星空を背景に、それとは不似合いな、まるで悪役のように首をのけぞらせ胸を大きく張りながらひとしきり笑ってみせた。その後満足したのか、すっと真顔になった。反射的に、まずいと思った。真剣な空気の中で問いつめられたら、わたしは嘘をつけない。ちょうどわたしの頭の上には、逆さに覗き込むギルベルトの顔があった。
するとその顔が見る見るうちに唇を突き出しておどけた様子になり、彼は靴のつま先の固い部分でわたしの頭をこつんと軽快に蹴り払った。小気味良い音とは裏腹に接する面が少ない分痛みは増して、わたしは丘の上でのたうち回った。

「おい、なんか言えよ!」
「い、痛いよ……!」
「たりめーだろ。そうなるように蹴ったからな」

そしてまた大きく笑った。やがてその笑い声は最後には「はあ」と大きな長い吐息となって星空に消えて、さっき危惧した冗談の言えない空気になった。遅かれ早かれこうなることは分かっていた。


「で、お前俺になんか言うことあるんじゃねえの?」
「久しぶり。そしておかえり、ギルベルト」
「ああ」

迷って迷って、考えるよりもすっと胸に浮かんできた言葉をそのまま彼に伝えた。きっと彼が今日何度も耳にした言葉。
その後に続く言葉が分からなくて、わたしは何とか苦し紛れに口を開く。

「ええと、主役がここにいていいの?」

ギルベルトがわたしの隣に乱暴に腰を下ろした。

「主役は俺じゃねえよ」
「え?」
「それは、あいつらのことだ」

その声が指し示すところを確認しようと体を起こして隣を見てみると、彼は遠くの光を見つめながら目を細めていた。ちょうどパーティが行われているあたりだった。

「いつだってな」
「うん」

ギルベルトといっしょに帰ってきた者、それを迎える者。ずっと昔から共に過ごしてきて、そしてギルベルトが守ってきた者。また、生かされてもいた。
ずっと隣で見てきたから、言葉の意味するところがすっと理解できて素直に頷いた。それが彼にも伝わっているのか、向こうからも頷きが返ってくる。

「あー、つうかまじ寒い。それよこせ」
「わわ」

すぐ傍から伸びてきた力強い腕が、大きなブランケットと掴むというよりはむしり取るような荒っぽさでわたしからはがそうとしていく。もともと彼の持ってきたものだからとされるがままになっていると、彼は全てを持っていかずに布の半分がわたしに行き渡るようにした。互いの体を一周させて、ふたりで首から上だけを出す。体が1つで頭が2つのどこかで聞いた事のあるモンスターのようだったし、その姿のまま黙っていると傍から見れば随分シュールな絵柄になるだろうなと思った。

小さな子供がするようなことを大きくなってからもふたりでしていることがなんだかおかしかった。それこそ子供のように、あけすけな信頼を確かめ合うような打算や駆け引きのない気持ちを向こうも自分に抱いているのかと、赤い瞳の奥を覗き込む。

「お前、ここで何してたんだ」

真意を読み取る前に、彼の鋭さがわたしにばっさり切り込んでくる。

「何って、別に」
「何もなければこんな所にいる必要ねえだろ」
「ギルベルトこそ。よくここが分かったね」
「けっ、話逸らしてんじゃねえよ。ちらちらこっち見といて、いつこっち来っかなと思ったら、何も言わねえでどっか行っちまって。俺はむかついてんだよ!」
「それは、ごめん」
「フン」

彼の言うことはもっともだったので、大人しく謝った。それでも彼は納得しておらず、鼻息を荒くし、非難する視線でわたしを射抜いた。
色んな感情が混ぜ合わさっていた。今だってこうして会えてうれしいはずなのに、今すぐこの場から立ち去りたい気持ちだった。ばつが悪いから? 決心がにぶるから?


「約束破んのかよ。お前が言ったんだぜ、俺はひとりじゃねえって」
「分かったんだ。ギルベルトはひとりなんかじゃないよ。みんながいるし、ルッツくんもいる」
「んで、お前は?」
「わたしは……人とは違うから……」


向き合う彼の顔から逃れるように、首をぐるりと回して広場のあたりを眺めた。

「俺が、お前が何かなんて気にしたことあったかよ?」
「初めのうちとか」
「ぐっ」

弾かれたようにギルベルトの肩が跳ねて、目を見開いたまま言葉をつまらせた。

「忘れてた?」
「ああ、そうだ。思い出した。目を引いたぜ、俺以外にも赤い目をした奴がいるんだってな。何か違う存在だってのもその時わかった。得体が知れねえし、敵なのか味方なのかもわかんねえからしばらく見張ってた。そしたら警戒してるのが馬鹿らしいほど弱くて、つうか馬鹿で、でもひたむきに努力するようなやつだった」

散々な言われようだった。

「なんでこいつこんなに頑張ってんだ? って、理由はずっとわかんねえままだったけど、同じ目的のために動いているのはわかったから、それだけで十分だった」

よく馬鹿にされていたけれど、後半のあたりは長い付き合いの中で初めて知った。今までそんな風に考えていたのかと思ったけれど、それでもいいと言ってくれたことがうれしかった。
守るため。そのために色んなことを学んだ。