ある日 (※もしも三国にバレンタインがあったら)


錦の名を持つ彼の風体が、その日はかげって見えた。こちらに気づく様子のない彼に、そっと忍び寄って話しかける。



「まあ、どうしたんですか、その荷物」
「ああ、月英どの・・・」


両手に抱えきれないほどの荷物を持ちながら、疲れたように男は眉尻を下げてみせた。表情の乏しい彼の、その曖昧な表情は、彼女がすきな表情のひとつだった。ひどく情愛をそそられるのだ。
彼女の胸の深いところが、ふるえていた。それに気づかずに、男は暗い顔のまま言葉をつづける。


「なんでも、今日は女性が男性にものを贈る日だとかで」
「そういえば、今日だったんですね。馬超どのは、ご存じなかったんですか」
「生憎ながら、西涼にはそのような催しはないのです。蜀に来て、はじめて知りました」
「そうだったんですか」



笑って、月英は彼の腕の中にあるたくさんの包みを見た。薄い桃色や空色のかわいらしい布で包装されたそれらは、今にも彼の腕からこぼれてしまいそうだった。あまい香りが、そこら中に漂っている。






「月英どのは、誰かに・・・あっ」
「あ」






そうこうしてるうちに、若草色の包みが彼の腕からこぼれた。ぱさり、と軽い音を立てて地面にぶつかる。彼の言葉は途中で途切れたままだった。
月英は、落ちたそれを拾い上げて彼の前に差し出す。



「落とされましたよ」
「すみません」
「いえ。それで、何か?」
「その・・・」


言いにくそうに彼は視線を泳がせる。こんなとき、いつもだったらその無骨な右手がその顔を覆い隠してしまうが、今日はその手はふさがっている。彼の表情がころころと変わるのが、逐一見て取れる。


もともとこういうことが苦手そうな彼だし、さすがに少しいじめすぎたかな、と思い、自分から答えることにした。



「先ほど申したかもしれませんが、私は今日気がついたので、まだ何も手をつけてないのです。ですから、誰の分も用意していません」
「あ・・・、そうだったんですか」




面食らった顔をしてから、懐いた犬がしょんぼりするような顔を見せて、彼は落ち込んでいた。少し前までの、期待できらきらと輝いているのを隠し切れない姿が感じられないほどに、彼はがっくりとしていた。
彼の腕に拾ったそれを乗せて、彼女らしい凛とした笑顔で月英は口を開いた。





「今日でなくてもいいですか」
「え」
「それとも、明日では期限切れですか」
「いえ、そんなことは」
「ふふ、せっかく馬超どのに食べていただくんですもの。じっくりと心を込めてお作りしたものでなくては、恥ずかしくて」
「た、楽しみにしています」

血色の悪い彼の肌に、血が通い始めた。それは幸せそうな顔をして、彼の、ともすればにやけそうになる口元を必死で押さえているのが見て取れた。



彼女はたまらなく愛しくなって、その頬に自分の白い手を重ねようと思ったが、ここはまだ宮中で人の目が気になるからとこらえて、笑顔で「ではまた明日」、と加えた。






曲がり角を右に曲がって、彼が見えないのを確認してから、彼女はおかしくなって笑ってしまった。一度笑うと止まらなくなり、この笑いは胸の奥のほうから沸いてくるおもいとかわらず、いくらでも沸いてくるのではないかと思うほど、息が苦しくなるまで笑い続けた。