浅き夢見し酔ひもせず



ガラス製のテーブルにジッポライターを転がした。コンビニ(もう何年も行っていないが)のレジ横にならぶ100円ライターにはない重みがある。硬質な音をたてて、やがてひっそりと動きをとめた。ジッポライターの金属質な肌とガラスの透明な肌がふれあっても、そこに熱が生じている様子はない。さみしい、と曹操は思った。

大きな窓から見える街の灯りを、ジッポライターが反射して虹色に輝いていた。照明はつけていなかったが、つける必要もなかった。

騒がしい街の中心からはなれているため、背の高いビルの上階にいる曹操にはそれらを見渡すことができる。展望台さながらの窓越しに光の泡が浮かんでいた。





聴診器をテーブルに置いたあとから記憶がない。劉備がぶしつけに訪れてくるまで、いつの間にか浅い夢でも見ていたのだろう。その余韻は名残りをおしんでいるのか、曹操から離れてゆこうとしない。テーブルに置いてあるデジタル時計は、深夜を示して光っている。

眠気の覚めないのもやもやとした気持ちが表情に出ていたのか、劉備に機嫌でも悪いのか、と問われてしまった。悪いわけがない、ほかでもないお前がこうしてたずねてきたのだから。



本当のことだったが、口にしてしまうと陳腐な響きになってしまうのは目に見えていた。そんなものは、金さえ払えば愛想よく笑顔を振り撒く、夜の女どもにくれてやればいい。

けれども劉備にそのせりふを吐くのは、気後れにも似た逡巡が体中を駆け巡る。そして、けっきょく言わずに終わるのだ。自分が望んでも手に入らないものなどそうはないのに、と思い、馬鹿らしくなって考えるのをやめた。







劉備が後ろ手で、木製の執務室の戸を閉めた。ぱたり、と隙間の空気を吐き出して部屋は密閉になる。内科の劉備がなぜ外科にいるのか不思議だったが、手にはカルテの束が抱えられていたので、そういうことかとひとりで納得する。


部屋に入るなりそのカルテを適当な棚の上に置いて、劉備がこちらへ向かってきた。こやつには、存外いいかげんなところがあると思う。劉備がなにか喋っているが、適当に相槌を打っているだけで、その内容までは把握していない。ただじっと、劉備の表情を眺めている。

患者や部下に人気のあるやさしげな笑みが、自分の前だけでさらす暗い色を秘めたものに変わる。白雪姫に毒りんごを食べさせた、悪い魔女が浮かべたような黒い笑みだ。


この顔を知っているのは、この世で何人くらいなのだろうか。彼の腹心である諸葛亮などは知っていそうだが、とにかく自分が彼の特別であることで心が不思議なくらい満たされていた。




そっと、劉備の手が自分の耳元に添えられた。細い手首には自分と揃いの豪奢な腕時計が施されており、その冷えた金属が首筋の敏感な肌に触れて、ゆるく息を吐き、曹操は瞳を閉じた。明かりの乏しい部屋が、なぜだか自分と劉備に似合いだと彼は思いながらゆっくりと甘い闇に飲まれていった。