刃向かう気か ;; 暗闇のなかのわずかな光があたって、その刀身がぬれているかのようになめらかに光を返していた。徐々に暗闇に目が慣れてきて、目の前の人物は女だということがわかった。彼女の手ににぎられているのは<くない>であって、それを持っているということは彼女が影の者であるということだった。 刃の先は、政宗を指してふるえていた。べつに驚いているわけではなかった。迷いとも恐れともとれるそのふるえに、政宗はどう対応すべきか考えていた。 何の前触れもなく、その女は隣国の佐竹から贈られてきた。友好の証だという。煮るなり焼くなり好きにしてくれという文が添えられていた。むこう数年の停戦と引き換えに、は米沢城までやってきた。 あまり言葉を交わすことはなかったが、政宗はを側室にすえ、つねにそばに置いていた。 ほんとうに、そばに置くだけだった。抱くわけでもなく、殺すわけでもなく、愛でるわけでもなく。ときどき会話とも呼べないような言葉の応酬をしては、なにかに満足しているのか、ため息をこぼすようにふっと笑んでいた。 「俺がお前をいままで殺さずにおいたのは、お前を愛しているからだ。」 の鼓動と刃の先が結びついているかのように、ひときわ大きく切っ先がぶれた。両手でそれを持ち直して、気丈な瞳で政宗をにらむようにした。 「ほんとはさっさと殺すつもりだった。but, I couldn't. 佐竹の阿呆の策に乗るつもりなんか、これっぽっちもなかった」 命のやりとりをしているはずなのに、政宗はふしぎなほど冷静だった。暗殺者が布団にまたがって得物をつきつけているのに、物怖じする様子もなく淡々と言葉を連ねた。今すぐにでも首をはねるべきなのに、せいぜいには、ふるえる<くない>を彼ののど元につきつけることしかできなかった。 「俺がだれをすきになるかなんて、そんなことは神にだってわからねえ。それは俺の意思だ」 これ以上、言葉を交わすことは百害あって一利なしだとふんで、はくちびるまでも噛み締めて、突き刺すために構えた腕を引いた。気を抜くといまにも顔筋が緩んで、泣く一歩手前までくずれてしまいそうだった。忍が感情を表に出すなど、してはいけない。 瞬きをしているあいだにの手のなかから<くない>は消えていて、遠くはなれた部屋のすみにそれは転がっていた。あれがなければ、眼前の男に歯が立つわけがない。あわてて拾おうと身を翻しかけると、それよりもはやい動作で阻まれ、あれよの間に布団の海に仰向けに転がされていた。 「」 いつの間にか立場が逆転していた。肩口をつよく押さえつけられ、逃げることもかなわなかった。顔を背けようとすると、あごのあたりをつかまれ無理矢理に正面を向かせられた。それでもなお逃げようとはもがいた。水面に墜落した蝶が、おぼれてもがいている様子を連想させた。 日ごろ粛とした姫様然としていたが、こんなにも自分をさらけ出したのは米沢の城へ来てからはじめてのことだった。虫も殺さぬような顔をして、感情なんてないように振舞っていた彼女だった。人形のように美しく、生き物だとは思えなかった。 はじめてほんとうのを捕まえることができたと、政宗は感慨深く思った。ひとりの人間としてのが、そこにいた。やっと捕まえた。政宗にしても、嫌がるに何かを強いることは、はじめてだった。ようやく人間らしくなれたのだ、お互い。隠すことなど、とうてきできもしない感情同士がぶつかっていた。 「おまえも、俺がすきだろ」 肩で息をするほど激しく攻防を繰り広げ、やがて疲れの見え始めたに、問いかけではなく、事実を口にするように政宗は言った。 とたんには抵抗をやめて、力なく布団の上に沈んだ。糸の切れた傀儡。ぶつりと張り詰めた糸の切れる音が、聞こえた気がした。死んでしまったかのようにも見える。命を吹き込むように、やさしく政宗は彼女の頬に口づけた。はじめて触れるの肌に自分の内側のなにかがぞわりと体中を駆け巡った。ともすれば貪りつくしてしまいそうになる気持ちをどうにかおさえて、何度も何度も口づけた。 のまぶたのふちにたまった涙を、そっと吸い上げる。観念したように、息を吹き返しては瞳をあけ、この日はじめて重たい口を開いた。 「わたしは、あなたを、好いてなどおりません・・・」 「No. お前は俺を愛してる」 「政宗さま、」 「何度だって言うぞ。俺はお前を愛している。And you too. 観念して認めるこった」 「お慕いしております、まさむねさま・・・」 最後のあたりは言葉にならなかった。むせび泣いてしまった上に、話している途中で政宗の厚い胸につよく押し付けられたから。苦しくなるほど抱きすくめられた。力強い心音が、のすぐ近くでしていた。自分の鼓動とおなじくらい早く、大きな音だと密かにはおどろいた。落ち着かなくて、胸にこびりついているすすのような感情を流すように泣いた。 |