04 そんなことをさせたいわけじゃない 不安定な足場に気をとられ、実力を出し切れない魏軍に比べると、水上での戦いに長けた呉軍の兵士の動きは、なるほど大河を擁しているだけある。しかし、数の面では圧倒的に魏が勝っている。差の開きすぎている兵力ひとつ見ても、主君がこの大きな戦に命運をかけているのがわかった。曹魏の命運は、この戦の結果次第だ。 少し離れたところで歓声が上がった。張遼は強く踏み込み敵を凪いで、空いた間合いの分の隙だけ声のほうを見てみると、が敵将を立て続けに討ち取ったらしい。前線の張遼軍の士気が爆発的に高揚する。張遼もの武勇に鼓舞される形で、瞬く間に敵を討ち取った。 船伝いに岸までたどり着くと、率いる分隊と合流する形になった。いまや副将にまで上り詰めたのもとには、張遼軍の4割が指揮下にある。援軍要請の知らせを受け、別働隊として彼女らを自軍後方へ派遣したが、どうやらうまく事を収めたらしい。隊を離れる前とほとんど同じ数の兵を連れて、は張遼に並んだ。 「負傷者は数名です。後方にて治療をしてもらってます。それ以外はみんな無事です」 「ご苦労。して、敵は?」 「はい、ホウ統。そしてその援護にきた蜀軍が少しでした」 「ホウ統が?」 開戦のすこし前にやってきた、魔術師風の男だった。見た目や声は老人の様だったが、布で顔を隠していたため本当のところはどうかはわからない。船酔いに弱い自軍の兵対策のために、船同士を鎖でつなぐことを進言していたが、一体それがなぜ敵に有利に働くのだろうか。 「逃げることができなくなるからか?」 「そうかもしれません。おそらく敵は、一瞬で戦況をひっくり返せるような策を用意しているのではないでしょうか」 「・・・火計か?」 真っ先に思い浮かんだのはそれだった。しかし、この時期の長江にはそれができない理由がある。 「しかし、風はどうするつもりなのであろう」 「そこが解せないんですよね」 川べりで吹く強い風が、の髪や張遼のマントなどをさらってゆく。風は曹操軍の船団がある方から、呉・蜀連合軍の方へと吹いている。もし自軍の船が炎上したら、風下の敵軍だって危険な状況になる。 「将軍。このまま陸続きに敵へ進むと、怪しげな祭壇があるとのことです」 「こんな戦場のど真ん中に祭壇とは、きな臭いな」 「ただの祭壇にしては守りが厳重だそうです。先の蜀軍に問いかけても具体的なことは聞き出せませんでしたが、最後まで答えないところを見ると重大な意味を持っていることはわかりました。叩く価値は十分あります」 うなずいて張遼は後ろに控える兵たちに声を張った。このまま直進し、敵陣にある祭壇を叩く。間を置かず、張遼軍全体が声を上げて答えた。となりでもうなずいている。相変わらず鋭い眼光を放っていた。戦う者の瞳。そうか、気高いのだ。 が力をつけることはうれしいことのはずだった。それはわが子の成長を見守る喜びにも似ていた。だが張遼の胸のうちは、かりかりと小枝でひっかかれた傷がついているようだった。彼女ほどの実力があれば、いずれはどうなるか。考えるまでもないことに、嘆息する。思ってまた、嘆息。 祭壇の場所はすぐにわかった。たくさんの灯りがあたりを照らして、そこだけ夕暮れのように瑠璃色に染まっていた。 待ち構えていた蜀の兵たちは意外に多かったが、精鋭揃いの張遼軍の兵とはそもそも練度がちがう。あっという間に祭壇のまわりを囲み、周囲の敵兵を殲滅する。いよいよ祭壇に攻め込むそのとき、張遼めがけて光線が襲いかかった。速度があったが、よけることもいなすことも可能だった。 「危ない!」 どん、と正体不明の重量に体を押され、張遼は光線の軌道からそれた。嫌な予感がして振り向くと、が力無く地に伏していた。うつぶせの体を起こして表情をうかがうまでもなく、彼女の意識がないことがわかった。 おそれていた事態に、指先が急速に熱を失っていった。 |