05 距離は一定、想いは不定 女性の部屋は数え切れないほど訪れたことはあるが、部下の部屋となると両手の指で数える程度しか訪れたことがなかった。普段ならば調練に立ち合っている時間に、こうしてまるで関係のない場所でのんびりすごしていると、居場所のない放浪者にでもなったみたいな気持ちになる。鎧ではなく着物ですごすのも、張遼にとっては久々だった。 は副将になったいまでも兵卒のときに与えられた部屋で生活しているらしかった。てっきり家でも買って、女中を雇い暮らしているものだと思っていたため、彼女の口からそれを聞いたとき張遼は驚いた。自分には身内がいないから、一人分の部屋で十分なのだとは笑っていた。つくづく禁欲的な娘だと思った。 「、起きているか」 部屋の入り口に立って、もし寝ていた場合、起こしてしまわないような大きさの声で張遼は呼びかけた。もぞもぞと布団がうごめき、張遼と目が合うとはゆっくり上体を起こした。 「わざわざ来てくださって、どうもありがとうございます」 寝起きのせいか、声は少しかすれていた。 「ろくなおもてなしもできませんが、よかったらゆっくりしていってください」 「休んでいたところ、すまぬな」 「いいえ」 寝台から降りようとするを手で制し、その枕もとへと歩み寄った。思ったより顔色はよかったがそれでも健康な時とは比べようもなく、病人が持つくたびれた雰囲気が彼女から発せられていた。 「皆は今、鍛錬中ですか」 「そうだな」 「わざわざ将軍が来てくださるなんて、わたしも出世したものですね」 は、軽く握ったこぶしで口元を隠しながら、くすくすと笑った。隣の部屋も向かいの部屋も、この時間は部屋の主人が出仕しているため空になっている。小さな笑い声だったが、張遼の耳にはっきりと届いた。戦時とそうでないときとでは、印象がまるでちがう娘だ。獲物を捕らえようとする獣は、ここにはいない。 「大事な私の副将だからな」 口にしてから、はっきり上司と部下という関係が目の前に叩きつけられたような気がした。役職や物理的な距離はずいぶんと近くなったけれど、明瞭な溝が自分ととを分け隔てているのを感じた。 これから先も変わることのない距離ばかりに気をとられて、それが離れてしまうこともあるのだということを、そのとき張遼は失念していた。 「傷の具合はどうだ」 「自分では見えないところにあるので、なんとも」 照れながら笑うに、傷を見せてもらってもいいかとたずねると、彼女は背中を向けて艶のある黒髪を後頭部にまとめ上げた。 「ここあたり、ですかね」 首の後ろの、彼女の人差し指が示した場所から少しずれたところに問題の傷があった。やけどの跡らしきものがある。戦場で気を失ったのは傷が直接の原因だったわけではなく、倒れた衝撃だと彼女を看病した医師から聞いていた。数日、休養を命じたのは大事をとってだ。 「ああ。これか」 白い、うなじ。傷跡にそっと触れる。着物の襟元から、細い肩がのぞいていた。 「これなら跡も消えるであろう」 「よかったあ。将軍の口からそれを聞いて、安心しました」 触れてしまった。もう止まることなど、できないのではないか。目の前の溝に対して、張遼は一歩を踏み出したに違いなかった。 |