06 「どうかしている」




先日の呉・蜀連合軍との大きな戦いは、相手方の策がなれば危ういところであった。曹操率いる巨大な軍のほとんどが、周瑜・諸葛亮といった時の天才たちの手によって大河の底に沈むことになっていただろう。そのことごとくを未然に防げたおかげで、自軍の被害を最小に抑えることができた。

連日のように宴が行われていた。の体調がすっかりよくなったある日、張遼のもとに届いた書状には「副将と共に宴に来い」と書かれていた。











「おお張遼、相変わらずいい男だのう。どうだ、わしを抱かぬか」
「恐れ多いことでございます」

断られたにも関わらず、曹操は豪快に笑い飛ばして張遼とを迎えた。そんな彼の後ろには当然のように夏侯惇の姿がある。宴は同じ広間で行われていたが、そこだけ見えない壁が空気を隔てているのか、もしくは騒ぐような品の無いものは近づくこともできない遠くはなれた上座であるせいか、曹操とそのまわりではのんびりと会話をすることができる。





「して、そなたがか」
「はい。お招きいただきありがとうございます」


じっとをうかがう双眸は、女としての器量ではなく、有能な配下であるかを見定めている。頭の頂点から生える一本の糸をすっと引っ張られたように緊張が走る。気圧されないよう気丈に微笑んでみせると、それに答えるように曹操はうなずいてみせて眼光を弱めた。


「先の戦では見事な働きぶりであった。敵の計略を未然に防いだのは、そなたであったと聞いた」
「いいえ、わたしではなく」
「お前だ、


代わりに張遼が、誇らしく語る。

「お前に似合いの部下だな、張遼」と力強い曹操の声に、はぽっと胸のうちがあたたまるのを感じた。それに答える張遼にも。彼のもとですごしてきた日々が、急速に色づき実体を持ち、へ還元されてゆく。







「うーん、だがつまらんな」
「はい?」
「よし、着替えるぞ、

答える暇も受け入れる暇もなく曹操はマントを翻してを別室へと促した。のくすんだ色の長衣のすそが部屋の外へ消えて、張遼は夏侯惇に意見を求めるようにその顔をのぞいた。夏侯惇は一言「すまん」とつぶやき、誰もいない部屋の出入り口を見つめ嘆息した。











部屋に戻ってきた当初のはどこか暗い雰囲気だったが、ただうつむいて入室したからのようだった。こちらに気づいて、視線を上げた彼女はいつもの彼女だった。暗く見えたのは光のあたり具合のせいで、すこし影って見えたのかもしれない。張遼は自分のくだらない勘違いを吹き飛ばして、戻ってきた彼女の姿をながめた。

は着慣れない衣服の感覚に戸惑い、苦笑いを押しとどめてはにかむようにした。いっしょに戻ってきた曹操がほめてもらいたくて仕方のない子供のように自慢げにふんぞり返っている。


「うむ、どうだ惇、張遼?」



夏侯惇も張遼もそれには答えなかった。思わず言葉を失うほど美かった、というわけではない。


「あの、無理してほめてもらわなくても結構ですので」
「そう恐縮することもないじゃろ。堂々としておれ」
「このような体の線がはっきり出たり、露出の多い衣服は、その、はじめてでして」
「なんじゃと」




の顔や体を上から下まで眺めたあとに、曹操は思いをそのまま口にした。


「わしはてっきり張遼に命じられてあのような冴えない着物できたとおもっていた」
「あれは一応わたしの一張羅だったんですけど・・・、このような場で、将軍に恥をかかせるようなまねをしてしまって、申し訳ありません」


深く頭を下げるに、曹操はこの世の終わりでも見つめるようなそぶりで張遼に問いかける。


「張遼、あやつは本気なのか」
「いたってまじめですね」



あわれむ視線をよこす曹操。同情されているようで、張遼は自分が情けなくなった。彼女は決して上司と部下の線を越えたりはしない。それ以前に、自分のことをそういった対象として捉えていないだろう。憎らしいほどできた部下だ。



贅沢をしない彼女が、華やかな着物など持っていないことは想像に難くなかったし、それでいいとおもっていた。無骨な着物は、彼女が武に携わる者であるしるしだったから。




(鷹はつめを隠すものだ・・・)


言葉を失うほどの美人というわけではない。しかし普通の美人だ。無自覚とはいえ、華美を遠ざける性格のおかげでいままで露になることはなかったが、こうして着飾ってしまうと隠しようがない。

袖のない衣服から伸びる腕は猛将の隆々としたそれとはちがって白く細いが、しなやかで無駄のない筋肉は装飾品のように彼女を彩る。強かでありながら、衣服を通して描かれる曲線は女性の特徴がはっきりと出ている。



勘違いをしてしまいそうになる。


彼女が守られる存在であるかのように錯覚してしまう。そんなか弱い女ではない。彼女は独立したひとりの人間として戦場に立つことを望む。守られるよりも、肩を並べて戦場に立つことを選ぶ。魏の平和を守るために戦う。








「将軍、どうかなさいましたか」
「ん、ああ」


いっそが他の将に仕えていたらよかった?

「どうかしている」
「え」




困っている彼女の額を小突いて、なんでもないようにしてみせる。距離は縮まらないかもしれないが、何気なく触れれる位置にふたりはいる。