魂だけでも ;;




小さな子供がふざけて作った砂の山のような形をしているバチカルの、今にも崩れてしまいそうな頂に閉じ込められていたことはそう遠い昔でもないのに。手の伸ばせば、三日月のかけらさえもぎ取れそうだったけれど、望んでいたのはそんなものじゃなかった。



昇降機の横の手すりに体重を預けて、ルークはバチカルの街を見下ろしていた。音機関の発達により、夜間でも工場は眠ることなく静かに息づいている。蒸気の吹き出る音と、重金属の打ち合う重く響く音がかすかに聞こえる。 潮騒のようだと、ルークは思った。手すりの向こう、足元の遙か下に広がる工場の群れからこぼれる明かりは、まるで海。星と月の光を映す夜の海。そしてその明かりのもとには、寝る間も惜しんで働く人の営みがある。

今までもこの頂で暮らしていたのに、そのことがわからなかった。屋敷を数歩外に出ただけでこうしてその営みに触れることができたのに、それが許されなかったことを恨むわけけではないが、屋敷で無為に過ごしてきた数年を振り返ると歯がゆい。やりきれなさが吐息に混じって吐き出され、白く夜闇に具現化してやがて自分の意思とは別にすっととけていった。




「そろそろ寝ないと、明日つらくなるぞ」

柔さを含んだ声は、屋敷にいるときから聞き馴染みのあるガイのものだった。ルークにとっては朝食のブレッドと同じくらいかけがいのないもので、いつだってルークをつなぎとめてくれていた。かっと弾けそうな理性を抑える優秀なストッパーとして、あるいはうつろな生の意識を楔のように。

そんなガイの忠告を間延びした返事で受け流して、手すりから腕をぶらぶらと柳の枝のように力なくゆすった。子供らしい仕草だったが、自暴自棄になっているような危うさを孕んでいるような気がして、遠くから眺めるガイはやや足早になって彼の隣に並んだ。


「眠れないのか?」
「わかんねえ」



ルークは決してガイと視線を合わせようとはせずに、腕を組んでその中に真っ赤な頭をうずめて外からの光を遮断した。


「いろいろ考えてたら、頭んなか、ごちゃごちゃになっちまって」
「一晩眠ればすっきりするさ」



根本的な解決を先延ばしにしてるだけかもしれないとは思いつつ、ガイはそうすすめた。昔から、子供というのは大人にも解けないようななぞなぞを出してくる。単にガイ自身が、思い悩み暗くなっているルークの姿を見たくなかっただけなのかもしれない。目の前のルークが笑っていてくれたらいい、くらいにしかとらえていなかった。



「守りたいんだ」


かすれたルークの声に、ガイはそちらへ注意を向ける。


「世界を」


ルークの視線が、足元の工業地帯をとらえる。翡翠の色をした瞳には、工場の明かりが映って光っていた。人々の営みが、ルークの目の中に集まってにじんでいる。ふいにその視線がガイへと移った。

ルークは、すがりつくように手すりを強くにぎった。なんとしてでもなしとげる、という強い意志を感じたが、前向きさとは別の方向にそのエネルギーが向いている気がしてならなかった。諦めと、死の放つにおいがルークからかもし出されている。心細さに押しつぶされてしまいそうなルークが、行き先を見失った渡り鳥に思えた。





「俺も同じだよ、ルーク」

ガイはルークの肩に腕を回した。たくさんの重圧がのしかかった肩は、かちかちに凝り固まっている。血の巡りが悪くて、さぞ窮屈だろう。



「魂だけでも、なんて馬鹿なこと考えるなよ」
「・・・・・・」
「俺が命がけで守る世界には、お前のことも含まれてるんだぜ」
「ガイ」



ふっとガイが微笑むと、つられてぎこちなくルークも笑った。さっきよりも力をこめて肩を抱き、ふたりの間の隙間をできるだけなくそうとする。ルークのぬくもりが確かに伝わってきた。同じようにガイの熱もルークに伝わっているだろう。

それだって立派な生きている証なんだとガイは思う。