心臓は置いてきました





「今からそんなんじゃ、先が思いやられるなあ」

降ってくる声がとても柔らかかった。
わたしの瞳からは絶えず水が流れ出ている。口と鼻の両方で精いっぱい空気を吸い込んでもまだ足りない。

潤んだ目でなんとか声の主を捉えると、声と同じように笑っていた。
笑いの形に表情が歪んでいるうのに、「楽しい」という感情は感じられない。



「きみは前に僕のことをすきだって言ったよね」

確認するように問いかけられ、脊髄反射でわたしは答える。


「すき、です」
「ふうん」
「すきです。ロシアさん、すき」


まあいいけどね。そう興味なさそうに言われると、わたしは救いも何もない迷路に突き放されたような孤独さを感じ、悲しくなった。
見捨てないで。涙が止まらない。もっと、酸素を吸いたい。
息を切らしながら何度も、すきだ、と唱えた。何度繰り返しても、彼には何も伝わっていないみたいに思えた。


「壊れた蓄音機みたいだ」


彼が無邪気に笑う。その様子に愕然とする。まるで違う価値観に、わたしの脳は理解することを拒んでいた。



「ねえ、

いつの間にかわたしは地べたにうずくまっていた。そんなわたしに視線を合わせるように彼がしゃがみこむ。
ゆったりとした動きで彼の指がわたしの顎をとらえ、俯くことを許さなかった。


「僕のことをすきって言うのなら、覚悟はあるのかな?」




にこりと笑って、彼が告げる。





「僕に愛される覚悟だよ」








すかさず頭を上下に振ってみせた。
彼は意に介さない様子で、あさっての方向に呟く。

「もっとも、きみの覚悟なんて僕にはどうでもいいんだけれどね」



もう遅いよ、低く囁かれた声が耳に届いた。