長いまつげにキスをする




ドアの隙間からこぼれるテレビの音と明かり。明かりがミルクをこぼしたときのように、磨かれた廊下の床に広がっている。何より電化製品の起動時に音ほどはっきり認知できるわけではないが、キーンと頭に直接響く何かがわたしの眠りを妨げた。
質の良い睡眠を何よりも重んじるわたしは、ベッドの横にかけてあるカーディガンを羽織って、かつそれだけでは寒さを凌ぎきれなかったのでフリースのブランケットをマントのように巻きつけ、ゆっくりとテレビの部屋を目指した。

部屋の照明をすべて落としテレビだけ起動すると、なぜだか青色に感じるから不思議だ。わたしの知っているテレビは少なくとも3色の明かりの組み合わせだとか、液晶を白色のバックライトで照らしているものなのに、壁を照らすのはテレビの明かりは夜の色が混ざっている青色だ。青い光は気持ちを落ち着けるという。足音を殺して、わたしはリビングの中央に向かって歩く。


ソファにはスペインが横になっていた。すやすやと吐息が聞こえる。どうやら意識はなさそうだ。帰ってきてそのまま力尽きたのか、オンタイムに着用するスーツのままだった。ただし襟とネクタイが緩められている。かっちりとしたスーツに、時にはオプションとして眼鏡を合わせることもあるが、喋らなければそのままかっちり決まっているのに、と誰もが口をそろえて言ったが、今の目の前にいるスペインはまさにそのマイナスに響きかねない喋らないという条件をクリアしていた。

照明というには頼りないテレビの明かりでも、彼の長いまつげを照らしその頬へ影を落とすのに十分だった。軟らかい前髪を指先で遊ぶ。


「テレビ、消すよ?」

答えはないだろうから、手元のテーブルからリモコンを拾い上げ電源をオフにする。同じように今度は照明用のリモコンを拾い、常夜灯をつける。


「風邪ひくよ」


ギャップなのだろう。こうして瞳を閉じるスペインの顔は本当に整っている。普段は三枚目よろしく振舞っているけれど、彼だって仕事をする時は標準語を話すし、きりっと顔立ちになる。長い年月を過ごしてきたのは伊達ではない。

最近は、よくスーツを身に着けた戦闘状態の彼を見ることが多い。立ち回りのうまい彼も気疲れすることだろう。同情の余地はある。





「スペイン、ベッドで寝なってば。起きてるんでしょ?」

一瞬難しそうな顔をして、何かを考えているような間があったが、その後諦めたようにぱちりとその瞳が開いた。はっきりとした丸い瞳。

「なんや。ばれとったんか」
「うん」

何に対して不機嫌なのかはわからないけど、わたしの声にはとげが含まれている。彼が横になっているソファの空いた部分に腰掛ける。


「ここは、普段照れ屋さんなが物言わぬ俺にキスして立ち去るっちゅう場面とちゃうの?」
「ベタベタだなあ。とにかく寒いんだからちゃんとふとんで寝ないと」
「寒くて動けへんわぁ」


スペインがわたしの体を抱き寄せ、マント代わりのブランケットを器用にふたりにいきわたるようにかけた。彼の腕がわたしを柔らかく包み込む。


「んん、あったかいなあ」
「もう。あと少ししたらちゃんと移るんだよ」
「せやなあ。このままやったらが風邪ひいてまうかもしれんもんな」

するとスペインは再び瞳を閉じて、今度は気の抜けた笑顔のような表情になる。幸せそうだなあと思うと、わたしもうれしく感じる。そっとその閉じたまぶたに口付けを落とした。


「珍しくかわいいことしてくれるやないの」




ぎゅうっとわたしを包む腕に力がこめられると、じゃれるようにわたしも思わず笑い声をあげた。