踊る髪も揺れる瞳も




ステップの1つ1つがうまく組み合わさっているだけなのだ。それが複雑であったり、そうでなかったりすることで難易度が異なってくる。きちんとルールに従いフロア内でステップを踏むことは、まるでスライディングブロックパズルみたいだとイギリスは思っていた。








自分の足の甲を彼女のつま先が縫い付けるように踏みつけた。練習用の柔らかなシューズだったが、つま先に彼女の重みがこめられていたので痛かった。彼女もバランスを失い崩れ落ちそうになっていたので、とっさに腕を伸ばし体を支えた。普段小憎たらしい態度ばかりとられているからいっそ転べばよかったのに、とふと脳裏をかすめたが、女性らしいやわらかさを持ち合わせる彼女の体が痛めつけられるのは忍びなかったのでこれでいいと思った。やわらかな髪が揺れると花のような香りがした。


「・・・おい」

後頭部に向けてそっと声をかけると、少し遅れて答える不機嫌そうな声。



「この、下手くそ」


一瞬わが耳を疑ったが、目の前にいるのがだったので彼女から発せられた言葉に違いなかった。俺の胸元をぐっと押し返すようにして距離を取って、俯いた状態からゆっくりと頭を上げる時に前髪の隙間からにらむようにこちらを見ていた。こういう時に美人はずるい。
責任の所存はどうでもよかったが、自分から謝る気はなかった。ただ言い争いになるのを避けたかった。








国賓を迎えるためのダンスパーティに出席して開幕のダンスを、と命じられた。珍しいことではなかった。自分ほど適している者はいないだろう、と思うのは自惚れではなく国の象徴たる己の性質からだ。容姿の華やかさこそないが、礼儀作法やダンスに関して言えば自分の右に出る者はほぼいなかった。パートナーはもう決まっているとも言われ、上司の口から告げられた名前がだった。
なるほど、と思った。今まで名前が挙がらなかったことがおかしい。自分の記憶している限りで、今まで彼女が踊っている姿を見たことはなかった。


事前にあいさつに伺うと、鬼気迫る勢いで本番前に何度か合わせないかと持ちかけられた。もちろんそのつもりだったが、まだ随分と日があるにも関わらず近い日にちを指定され、その意図がつかめなかったが熱心なのだろうと結論付けた。








それまで踊ったこともなかったのだろう。彼女に必要なのは経験だ。筋は悪くない・・・と思いたい。
「だからそう悲観しなくてもいいのではないか」と告げるのは彼女のプライドを傷つけてしまいそうで中々言えないでいた。


「もう1回?」
「もちろん」


流れる音楽を止めるために蓄音機に向かうと、背後からいらいらしたものを吐き出すようなため息が聞こえた。音楽を止めると、遠くで喧騒が聞こえたが、室内は静けさが佇んでいた。何も言わずにこのまま音楽を再生し練習することもできたが、つい俺の口から言葉がこぼれた。ほんの数秒前のことも忘れてしまうから、俺は忘れ物が多いとかみんなに馬鹿にされるんだ。ともかく、後の祭りということだった。


。そう自分を責めるなよ」
「何のこと? イギリス、あなたが下手なのをわたしのせいにしないで」
「俺や他のみんなに迷惑がかかるとか、そんなことはないんだ。俺は、パートナーをやめる気はないからな」




振り返ると彼女は相変わらず鋭い視線をよこしてきた。それが段々と力を失い、頼りなく揺れる様子をずっと眺めていた。本当に美人はずるい。



「そうだな、まずはまっすぐの姿勢を保つこと。できるか?」
「・・・がんばる」
「それで視線は同じくまっすぐ、もしくは俺の顔で我慢しといてくれ。嫌とかわかってるから言うなよ」
「言わない」



これには驚かされた。てっきり音速でばっさり切り捨てられると思っていたが、彼女の答えは俺の予想の正反対だった。彼女は腕を組んで真横を向いていたのでその真意はわからなかった。何かを期待している自分を心の中で笑い捨てた。そして慰めた。



そっと彼女の手を取り、基本の姿勢になる。

「俺も上手くリードできるよう、一緒に頑張るから」
「・・・・・・」
「本番まで時間もある。ダンスはひとりでするものじゃないんだ、目いっぱい俺を頼れよ」


流れる音楽に再び身を委ねる。先ほどの教えに従い、の視線が俺の顔に向けられている。重ねた手に力がこめられ、この信頼を裏切らないようにしようと、そっと心に誓った。