涙の雨はやがて虹に変わるのです




決して豊かとは言えない暮らしだったが、はあるものを上手く使って毎日スイスの帰りを待っては、いっしょの食卓についた。彼女は自分にできることを精いっぱいしているだけだ。彼女の回復はスイスにとってもうれしいことで、むしろ望んだことでもあるが、このまま生活を続けていくことが彼女にとっていいことだとは思っていなかった。
薄い布を一枚めくると、彼女の白い腹には内出血をしたぶす色の肌が広がっている。思い出すたびにいまでも苦い感情が広がる。


略奪は各地で頻繁に行われていた。
燃え盛る街中を走り回るスイスの目の前で、ひとりの女性が暴漢に襲われそうになっていたので慌てて追い払った。良心に反する抵抗感の伴う行いに、つい自分のできる範囲で手を出してしまったが、関わることを避けた方が賢明であっただろう。そう冷静に考える自分は正義の使者などではないのだと思い知らされる。そもそも自分は傭兵だなのだ。
幸いにして、彼女はまだ息をしていた。抵抗する彼女をだまらせようと強い力で腹を打ち付けられたのだろう、苦しそうに顔を歪めている。女性らしい白い肌に似つかわしくない強打の跡が不恰好な大輪の花のように広がっていたが、死に至るような目立った外傷もない。言葉通り彼女を「守る」ことができたようでほっとする。しばらく立ち直ることは難しいだろうが、生きていれば無限の可能性をつかむことができる。


この世は汚いもので溢れている。
土地が豊かであれば争うことはなかったのだろう。足りないものを得ようと人から奪おうとするから争いが起こる。ただ明日を生きるために奪い合う。そうしないと自分の命が危ないという恐怖感。生きるためには強くなる必要があった。強ければ勝つことができる。強さを売りにして、金を稼ぐことができる。いつしか生きるために金を稼ぐようになっていた。大勢のためではなく、自分を守るために剣を振るい身を立てることが傭兵の矜持だった。



家の近くでさえ夕飯の匂いが流れてくる。最近では、この時間になると腹が空いてくるようになっていた。入り口の戸を開けるとぱっと振り向いたがいつも通りの穏やかな笑みで迎える。

「おつかれさまです」

答える自分の声もいつも通り、「ああ」だとか「うむ」だとかおざなりなものだった。

「今日はお隣からたまねぎを頂いたんです。サラダとスープにしてみました」
「うむ。春のものは生でも食べやすいのである」
「そうですね」


照れが先行してしまって気持ちを言葉で伝えたことはないが、彼女のことは大切に思っている。彼女に向けての言葉は、自分でも驚くくらい甘い声になっていて、それすらも恥ずかしい。

ふと見るとの表情が不安げにくもっていた。

「どうかしたであるか」
「え、あ、いいえ。なんでも」
。言いたいことがあるなら、はっきりと言え」

小さな肩がびくりと跳ねた。先ほどの反動で強くなる語気に、失敗したと思っても取り返しはもうつかない。


「わたし、いつ、スイスさんに”お前なんかいらない”って言われるんだろうと、思って」
「いきなり何を言い出すであるか!」

思わず目を剥き彼女の方を見るが、頼りなさそうに小さくなるばかりだった。

「さっきのたまねぎの話もそうなんですけど、スイスさんはわたしと話すと必ず険しい顔をされるんです。わたし、できるだけスイスさんのお役に立ちたいんですけど、いつも上手くできなくて」
「そんなことはない。お前はよくやっているではないか」
「でも、さっきも・・・」

スイスは舌打ちをしたくなったが、ぐっとこらえた。彼女はいつも自分の情けない姿を見ていたというのだ。そればかりか、不安になっていたなんて。

「スイスさんは、はじめに言いました。”よくなるまでここにいていい”って。でも、その後のことは何も・・・」

勢いよく顔を上げて、彼女はぐちゃぐちゃの顔で笑ってみせた。無理矢理顔をひきつらせているのが分かる。

「あはは、あれです。たまねぎがしみちゃったんですね。忘れてください」

そうしてスープをすすって、努めて普通に食事をとろうとする。

「いくら我輩でもそれは通らないと思うのである」
「はい・・・」
。我輩はお前が思っているほどきれいではない。知っていると思うが傭兵だ。やっていることや、考えていることはその辺のやつらと何ら変わらん。いっしょにいるのは、お前のためにならんのだ・・・」
「なんですか、それは」
「何って・・・。いや、だからな」
「勝手に決めないでください」

強い意志が感じられる声だった。

「わたしの望みはあなたと共にあることです」




しどろもどろに自分も同じ気持ちだと伝えると、はきらきらと微笑んだ。思いが通じ合うのはこんなにも素晴らしいものなのかと、充足感から思わず自分も口の端が釣り上がった。