きっかけが必要です




テスト期間でない限り、学校の図書室はいつも閑散としていた。本が好きな生徒や文芸部の生徒がいるけれど、その生徒達とは特別親交がなかったので本当は話をしてみたかったがは諦めていた。どちらかというと、相手から話しかけてくれるのを待つタイプだった。



新刊のコーナーを眺めていると、愛読しているシリーズの新刊があったので早速手に取った。司書さんとは仲良くさせてもらっているため、本の仕入れはこっそり好みのものを優遇してもらっている。お礼を言おうとカウンターの裏の司書室を覗いてみるけれど、彼女は不在の様だった。



「あの」

背後から声をかけられて、自分のことかははっきりとしなかったが念のためには振り向く。

「貸し出しですか?」
「あ、はい」

どうやら自分のことで間違いなかったみたいだ。バーコードリーダを片手に図書委員と思しき男子生徒が本を催促するように手を伸ばすので、それに従うようにも本を差し出した。本の貸し出し時間は放課後の20分間と決まっていて、多くの図書委員はその拘束時間をあまり快く思っていない節があった。あまり認められていないが、図書室に入り浸っているは図書委員経由でなくても、司書さんにお願いしたり時には自分で手続きをして本を借りていたので、タイミングが悪かったと男子生徒の手続きが終わるまでそわそわとしていた。

「それでは、2週間後までに返却ということでよろしくお願いします」
「はい」


返却期限の書いた用紙が挟まれ、再びの手元に本が戻る。目の前の男子生徒の落ち着いた口調と意外に低い声が、印象に残った。















はあまり活動の盛んではない文化部に所属していたので、週に2回の部活の日以外は図書室によったりする程度で、ほとんど早いうちに学校を後にしていた。学校側も完全下校の時間を設けたりして、放課後に特別な用事のない生徒の責任を負うことを避けていたりするので、むしろ生徒としてあるべき姿だと彼女は考えていた。
その日も部活のない日だったので、は玄関でバスが来るのをひとりで待っていた。いつもは帰りの方向が同じクラスメイトといっしょなのだが、とうとうその子にも特別な相手ができたという。うれしそうな彼女を思い返すと、なぜだかの体内では焦燥感がぐるぐると逆巻くのだった。限られた時間のなかで、どれくらいの青春を謳歌できるのだろう。まだまだ日没まで時間のある夏の放課後を、ただ帰宅するためだけに消費することが勿体ないような気がしてならなかった。


自転車や徒歩で通学する生徒が思い思いに下校する様を、彼女は眺めていた。そんな時にどこかで聞いたことのある声がしたのでその声の方に注意を傾けると、先日の図書委員の男子生徒を見つけた。一緒にいる金髪のがっしりとした体つきの生徒や、柔和そうな表情を浮かべている生徒に比べると随分と小柄だった。その背が段々と遠のいていくのを、どうにかして引き止めたかった。


「あのっ」


そういえば彼の名前すら知らなかった。3人が一斉に振り返ったが、どうやってその男子生徒に声をかけていいのかはあれこれ考えをめぐらせるが、1つも思い浮かばなかった。ネクタイの色からすると、の1つ下の学年になる。それすら初めて知った。


「どうかしましたか」

一歩進んで、例の生徒が尋ねてきたので、それに答えるようには言う。


「あの、メールアドレスを教えてもらってもいいですか?」


目の前の男子生徒の黒い瞳が大きく見開かれた。後ろに控えるふたりも驚きながら様子をうかがっている。不審者さながらな質問には、自身、それはないだろうと大きな後悔に苛まれていた。中学から続く思春期特有の男子への苦手意識から、今までろくに話すことをしようとしなかった己を恨んだ。こういう時にどうやって仲良くなるのか全くわからない。ただじっと地面に足を着けて、逃げたくなりそうな気持ちを耐えていた。


「ええ。構いませんよ」


ふっと穏やかに微笑んで、彼はポケットから携帯電話を取り出した。さりげなくこの夏の最新携帯だった。

「赤外線でよろしいですか」
「あ、はい」
「では私から送信しますね」


互いに携帯電話を構える。の携帯に名前が表示される。本田、菊くん。
受け手と送り手を交代してもう一度通信をする。彼は画面をじっと見つめて、それから彼女を見つめた。


「これからよろしくお願いします、先輩」
「はい、よろしくです」


訳も分からずは深く頭を下げた。菊も頭を下げて、面白そうに笑っていた。