いまのってセーフ?




は移動教室の途中、甘いにおいのする菊に呼び止められた。

「次の授業、移動ですか?」
「ううん、教室で数学」
「よかった」


そう言って、背中から紙袋を差し出す。受け取ると、意外と重みがあった。

「ようかんです。先ほど調理実習でこさえまして」
「え、すごい! 手づくりなんだ」
「冷やしてお召し上がりください」
「どうもありがとう。部活のお茶うけにさせてもらうね」


部活? そう言って菊は首をかしげるジェスチャーをする。

「茶道部なの。恥ずかしながら、部長を任せられております」
「そうだったんですか」


教室から離れた管理棟の最上階にひっそりとある畳の教室、礼法室が茶道部の部室だった。校内でも有数の「活動しているのかいまいちわからない」部活動の1つだった。

少し離れたところでクラスメイトがの名を呼んでいた。そろそろ移動しないと次の授業に遅れてしまいそうだという。


「本田くんは、次の授業いいの?」
「私は次も調理実習です。お昼前の2時間連続なので」
「ああ、そっか。抜けてきて平気だったの?」
「どうなんですかね。さすがに休み時間まで拘束されるような決まりにはなっていないと思いますけど」

菊はまじめそうな外見とは裏腹に、しれっと言い放つようなしたたかさや図太さを内包している。が答えあぐねて何かを言うよりも先に、いつもの微笑で丸め込まれてしまう。


「できれば、先輩に食べていただきたいのですが」
「うん、だから、部活の時に・・・」
「先輩に、だけ」

菊は内緒の話をするように言って、ぴんと人差し指を立てて見せた。

「? お昼に、ってことかな?」
「ハズレです。わざとやっているんですか」

興味を失ったように、彼は踵を返して家庭科室へと向かう。
はぐらかすようなの回答は、もちろんわざとだった。菊の困った反応が見たかったのと自分の心臓が限界だったからなのだが、逆にこちらが困らせられることになるとは。うまい言葉が見つからず、次の授業開始のタイムリミットがじりじりと差し迫る。


先輩」
「はい」

ぴたりと足を止めた菊が、背中を向けたままで言う。開いた距離の分だけも声を大きくする。








「うそです。怒ってませんよ」

ゆっくりと振り向くと、いつもとは違う種類の笑み。からかわれたのだと気づくと、の体がかっと熱くなり、今度は彼女がくるりと背を向けた。


「それでは、また」

その背に向けて菊が穏やかに投げかける。もらった紙袋や前の授業の道具などを抱えて、いつもよりも力強い足取りでは教室に向かった。